効率性の罠について~洗濯物を干しながら~
こんばんは。
数年前からドラム式洗濯乾燥機を使っているのですが、まぁ便利ですよね。
オシャレ着や乾燥に向いていないものは仕方ないのですが、ほとんどのものは乾燥までしてしまえば「洗濯物を干す」という工程が省略されます。
私の場合は農家なので、毎日の農作業着はすぐ洗濯乾燥します。シワになろうが問題ないのです。
梅雨の時期も乾燥があればハッピー!!!
と思っていたのですが、なぜか最近は洗濯物を干すのにハマっています…
基本的には妻がしてくれるのですが、今は農閑期なので私がすることも増えています。
最初は面倒くさいと思いながらしていたのですが、「どう干したら夕方までに乾くかなー」などと考え始めてしまいました。快晴の日はテキトーに干しても昼頃には乾くのですが、曇天の日は夕方になっても乾きません。微妙に湿っててクサイ。
少しでも風が入るように広げて干したりすると、乾きが早くなっていたりします。
そんなことを考えながら洗濯物を干すのは意外と楽しいものだなーと気づかされました。
そんなこんなで思ったのが、効率を求めすぎると深く考えたり新たな発見をすることが少なくなるなということです。
もちろん、洗濯乾燥機を使っていても、いつ回すか、何を洗濯乾燥するかを考える必要はありますが、それでも「洗濯物を干す」中で考えることの方が多いのではないかと感じてます。最新家電は優秀すぎるので、自分で考えなくてもマニュアル通りすれば上手くいってしまうんですよね…それが悲しい。
何かの記事で読んだのですが、テレビゲームが誕生する前は、子供たちは自分たちで遊びを考えだしていたそうです。テレビゲームは言ってしまえば、誰かが作ったストーリーにのっとって遊んでいるだけで、自分たちの独創性はあまり反映されません。
一方で、「だるまさんが転んだ」や「缶蹴り」のルールが地域で違うことがあるように、自分たちで作りだしたものは多様性があるように感じます.
その地域にしかない遊びもありますね。
皆さんが思うドラクエやポケモンは全国どこでもまったく同じものだと思います。
洗濯乾燥機やゲームは誰もが使いやすくて便利なものですが、一方で失われた独創性もあるんかなーという話でした。
技術が発展するほど技術大国じゃなくなるみたいなパラドックスあるんですかね。
そんなこと言いながら、発展した文明の恩恵を受けながら生きていきたいと思います。
おわり。