リアルゴールドと祖父
炎天下の中、キャベツを植えている。
8月も終わろうとしているのに、まだ暑い。
普段は炭酸ジュースは飲まないけれど、この時期は爽快感を求めて飲んでしまう。
C・Cレモンが好きで自動販売機で毎回買おうとするが、たいてい「売切」のランプが赤く点灯している。
日光で赤いランプが点灯していることに気づかず、ボタンを押してしまう自分に辟易する。
「誰がこんなにC・Cレモン飲むんだよ」と毒づきたくもなるけれど、その犯人を僕は知っている。
そんなときは、代わりにリアルゴールドを買ってしまう。売り切れていることなどなくて、求めればいつもすぐそこにある。
そして、リアルゴールドを飲むとき必ず(父方の)祖父を思い出す。
僕は、じいちゃんっ子だったように思う。
小学生くらいの頃は、休みのたびに祖父の家に行っては一人でよく泊まっていた。車で15分、自転車で30分くらいの距離にあったと記憶している。
小さい頃は父に車で送ってもらっていたけれど、自転車に乗れるようになってからは一人で行っていた。
普通は祖母と寝たがるようなものだが、なぜか祖父と寝たがっていた。
口数の少ない祖父であったけれど、無言の中にも優しさが滲み出ているような人で、特に何かしてもらわなくても、好きになってしまうような存在だった。
そんな祖父は僕によくリアルゴールドを買ってくれた。祖父が薦めてくれたのか、僕が望んだのかは分からないけれど、とにかく祖父が買ってくれるのはリアルゴールドだった。
今となって考えてみれば、リアルゴールドは子供が飲むようなものではない。
小学生が飲む炭酸ジュースとしてはコーラやファンタが正解で、リアルゴールドは少しおっさん臭い。
実際に、小学生の頃の友達にリアルゴールドを飲んでいる子などいなかったし、そのことに気づいてからはリアルゴールド好きを公表しづらくなった。
幼少期はわんぱく坊主で手が付けられなかったらしいが、それもこれもリアルゴールドの効能のせいだろう。
他人が何と言おうが、いい思い出なのだ。
当時、ワンピースのゲームが流行っていて、僕はそのゲームを持っていないけれど友達が持っていたので貸してもらっていた。
途中でクリアできなくなって攻略本が欲しくなったけれども、友達に借りたゲームの攻略本を買ってもらうのは小学生ながらに忍びなくて、親には言いだせずにいた。
なぜだか、祖父が名探偵コナンの新刊を買ってくれる習慣が我が家にはあって、ある時、その新刊を祖父と一緒に買いに行くことになった。
攻略本が欲しい僕は、どさくさに紛れて買ってもらえないかなぁと、ずうずうしい気持ちでいた。ゲームが友達のものだと隠したまま、さりげなく祖父におねだりするとあっさりと買ってくれた。
僕はその時、攻略本を買ってもらえた喜びよりも祖父に嘘をついてしまった罪悪感の方が大きくなって、家に帰っても気持ちが落ち着かなかった。
その攻略本は1000円くらいだったし、借りたゲームの攻略本を買ったところで何も問題はないので祖父は何とも思っていなかったであろうが、小学生にとっては大金であったし、祖父に何か悪いことをしてしまった後悔でいっぱいだった。
この時に「嘘をつくことは良くないこと」を漠然とだけれども、身をもって理解したように思う。
それは、祖父の屈託のない笑顔があったからこそだろう。
晩年の祖父は、家庭菜園に没頭していた。
祖父の家から歩いていける距離に小さな畑を借りて、野菜を育てていた。
どんな野菜を育てていたのかまったく覚えていないけれど、祖父はなんだか楽しそうだったのはよく覚えている。
その畑のすぐ近くに用水路があって、祖父はそこから2つのジョーロで水を汲んでは、畑の野菜に水をあげていた。
僕も、家庭菜園の楽しみは理解できなかったけれど、祖父と何かをするのが楽しくて一緒に畑に行っていた。
ある時、祖父を手伝おうと思って、2つのうちのジョーロの1つを持つよと提案してみた。祖父は喜ぶに違いないと思っていたが、
「これは、両手に持っていた方が運びやすいんだよ」
と言った。
「良かれと思って言ったのになんだよ」
と、僕はふてくされた。
今思えば祖父の言うことが正しいのだが、小学生の僕には理解できなかった。
「じゃあ2つとも俺が持つよ!」
と勇んで2つのジョーロを持って歩き始めたが、重すぎて2.3歩しか歩くことができなかった。
僕は悔しくて仕方なかったが、そんな僕を見て祖父は微笑んでいた。
結局、祖父が2つのジョーロを持ち、僕が片方のジョーロを一緒に持つことで祖父は僕の自尊心を保ってくれた。
優しさは必ずしも相手のためにならない、あるいは、相手のためになってこそ優しさなのだなと学んだ。
祖父との畑仕事はとにかく楽しくて、それが僕が農業をしたいと思ったキッカケになっているのかとさえ思う。
祖父との思い出は良いものしかないけれど、思い出せる出来事は片手で数えられるほどしかない。
実際には多くの出来事があったのだろうけれど、それでも嫌な記憶はまったくない。
祖父の家に泊まった時の、祖父の匂いは今で言う加齢臭なのかもしれないが、その匂いさえもいい思い出である。
祖父の指は甘栗みたいに茶色く染まっていて、甘栗好きな僕にとっては見るだけでいい気分がするものだった。
そんな祖父も僕が高校生か大学生の頃に亡くなった。亡くなる直前の祖父は意識が朦朧としていて、話しかけてもジェスチャーで何か伝えられるくらいだった。
僕もその頃勉強に忙しくて、自分のことで精一杯だった。
2回くらいお見舞に行ったけれど。亡くなった時は母のメールで知った。
「じいちゃん、ダメみたい」
まったく実感はわかなかった。
葬儀の時もまったく泣けなくて、祖母はこの世の終わりの如く泣いていたけど、僕は泣けなかった。とにかく実感がなかった。身近な人の死は祖父が初めてで、感情の整理もついていなかった。
参列者の方々は皆、祖父はいい人だったと言っていたけれど、当たり前だろくらいに思っていた。
最後に祖父のお見舞いに行ったとき、祖父はまったく喋れなかったけれども、ペンで何かを書くジェスチャーをしていた。
「勉強頑張っているか?」
言葉にはなっていなかったが、祖父が言いたいのはこれだと分かった。
「頑張ってるよ」
と伝えたら、祖父はうなずいて笑っていた。
話している相手が僕だと分かっていると思って嬉しかった。
祖父が亡くなった後で、父に祖父をどう思っていたのか聞いてみた。
「なんでこんな臭い煙草を吸うんだろう」
と嫌に思っていたと言っていた。
いや、それ俺も思ってるで!と思ったけど。
詳しくは聞いていないけれど、父は祖父に対していい思い出ばかりではなかったようだ。
僕からしたら、あんなに優しい祖父なのに何で?と当時は思ったけれど、子供を持つようになってからはよく分かる。
その時の環境によって人は変わる。
子供を育てないといけない父の立場だと自分が稼ぐことで精一杯だけど、祖父の立場になれば少し余裕もできる。
そんなことが理解できるようになって、大人になった気分を味わってるけど、祖父や父からしたらまだまだ子供なんだよなぁとも思う。
身近な人が亡くなった時、悲しむべきことなんだろうけれども、亡くなった本人にとっては人生を全うしたんだよな、と思うとあまり悲しむべきことではないように感じる。
祖父も90歳まで生きたし、そこまで無念の気持ちもなかったのではないだろうか。
何より、祖父は僕とはリアルゴールドを通じてつながっている。墓参りには行けていないけれど、この真夏の季節が来るたびに祖父を思い出す。
一緒に酒は飲めなかったけれど、リアルゴールドで乾杯したい気分だ。
最近、リアルゴールドの新種が出て買ってしまったけれど、そういうの要らないから。
昔ながらのリアルゴールドには120円以上の価値が詰まっている。
リアルゴールドにはローヤルゼリーや高麗人参だけでなく、祖父との思い出という効能も入っているのだから…。