アグリたろうの農業日記

新規就農者の苦悩を綴ります。

現代社会の生きづらさについて考えてみた

こんばんは。

 

生きづらい世の中になったと言われている現代ですが、その理由を考えてみました。

 

 

 

明治時代くらいまでは、いわゆる「士農工商」という身分制度があったと思うんですけど、これって武士は武士らしく、農民は農民らしく…みたいな発想ですよね。

ほとんどの場合、武士の子供は武士になるし、農民の子供は農民になります。

 

だから小さい頃から、

「あんたは武家に生まれたんだから、剣術を磨いて立派な武士になりなさい」

「あんたは農家に生まれたんだから、文句を言わずに畑を耕しなさい」

みたいな教えを受けていたと思います。

 

 

 

今では、「身分制=差別」という考えが一般的になっていますが、見方を変えれば、身分ごとに役割を与えられていた、とも考えられます。

 

「武士は何かあれば戦争に行きなさい」

「農民はコメを作りなさい」

「商人はモノを動かしなさい」

「職人はモノを作りなさい」

みたいな役割があったと思います。

 

士農工商では、武士が一番上の身分ですが、最もリスクが高いのは武士です。

身分が高い分、求められる役割も大きかったんだと思います。

農民が戦争に駆り出されることも多かったかもしれませんが。

 

 

 

もちろん、身分の差に苦しむ人もいたと思いますが、生まれた時から役割を与えられるという意味では、現代人からしたら羨ましいと思うこともあるかもしれません。

 

農家に生まれたら、立派な農家になることが役割であって、そのためだけに勉強や仕事をすればいい訳です。

剣術の練習や商売の勉強、モノ作りの修行なんてしなくていいんです。

 

 

 

それが現代ではどうでしょうか。

どんな家に生まれても政治家や医者、弁護士を目指すことはできるし、親もそれを期待することができます。

どんな職業でも選べる自由はあるということです。

一般的に、選択の自由があることは良いことだ、と言われています。

 

ただ逆に言えば、「職業=役割」は自分で見つけなければならない、ということになります。

生まれながらにして役割があるということは、現代社会ではほとんどありません。

生きていく中で見つけていく必要があります。

 

 

 

ここが、「現代社会は生きづらい」と言われる原因ではないかなと思います。

人は役割があると、その役割を果たすために頑張ることができます。

でも、役割(目標?)がないと頑張れないことが多いです。

 

 

 

 

 

鹿児島にきて、職業上、何人かの高校生と話をすることがありました。

自衛隊の基地が近くにあったり農家が多いためなのか、

自衛隊に入る」

「親の後を継いで農業する」

というように、役割が決まっている子が、僕の生きてきた環境よりは多かったように感じます。

 

そして、こうした子のほうが、幸せそうな顔をしているようにも感じます。

 

 

 

 

 

身分制がなくネット社会も発達している現代では、他人の生き方を身近に感じることができます。

「オレだって医者になれるかも!」

「私もアイドルになれるかも!」

「Youtuberなんてオレでもなれるわ。」

みたいな時代です。

 

親だって

「いっぱい勉強して高学歴になって大企業を目指しなさい」

と言うこともできる時代です。

 

ただ、こうした役割(職業)を見つけられる人にとっては良い時代ですが、役割を見つけられない人にとっては地獄のような時代です。

自由なようで実は不自由なのかもしれません。

 

 

 

 

自分の役割を見つけるって難しいですね。誰かに「こうしなさい!」って指示されるほうが楽だったりします。

会社の跡取りとかが羨ましく見えるのは、そういう面もあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

何が言いたいかっていうと、結局、韓国ドラマの話なんです。

僕が今まで見てる韓国ドラマは、必ず「身分の違い」に焦点を当ててるんですよね。

「身分の違い」に抗ったりして、役割を見つけ出すのが面白いんです。

現代社会の鬱憤を韓国ドラマで晴らしてるんです…。

 

 

 

なんの話だったんだろうか。

長々とありがとうございました。

 

かむさはむにだー。